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2009年9月20日(日曜日)

9月20日

カテゴリー: - fujitasougou @ 14時34分46秒

 初めての裁判員制度の下での裁判は、二〇〇九年五月に、六六才の女性をナイフで突き刺して殺した男についての事件であった。

 一日目、六人の裁判員が選任され、三人の職業裁判官と共に近所の住民の証人尋問を行った。二日目、目撃者と被害者の長男の証人尋問を行った。三日目、被告人質問の後、検察側の論告求刑、弁護側の最終弁論があり、四日目には判決言い渡しという短期の進行だった。

 検察官の懲役一六年の求刑に対して、判決は、一五年で被告人は控訴した。

 これまで何となく判決は求刑の八掛けといわれており、それからすると一二・三年の刑の言い渡しを予想していた被告人にすれば、明らかに量刑不当と考えたのであろう。もし、裁判員制度でなければもっと軽かったはずだと不公平に思ったかもしれない。

 控訴審は、裁判員ではなく、三人の職業裁判官が審理する。職業裁判官の目から見て、一五年が、これまでの統計からいって重すぎるということになれば、一審判決は破棄されて、改めて一二年か一三年の刑が言い渡されることになるだろうが、それでは裁判員制度を取り入れた意味がない、と批判されるだろう。

 さぞ、控訴審の裁判官は悩むことだろう。


2009年9月10日(木曜日)

9月10日

カテゴリー: - fujitasougou @ 14時31分59秒

 八月の夏休みは、私は毎年夫の郷里である広島で過ごす。

 六日の原爆の日が近づくと、地元中国新聞では特集記事を組んで、「平和への願い」を込めた様々な行事を紹介したり、「核廃絶」への思いを識者に語ってもらったり、各政党が「非核化」について、どのようなマニフェストをかかげているか掲載する。

 そのような中で、特に心を打たれるのは、もう七〇才を過ぎている被爆者や、その遺族らの証言である。

 「原爆投下から数日後、焼け落ちた自宅を捜すと、母と一才の妹の二人の黒こげで胴だけの遺体が出てきた。声が出なかった」、「姉は、学徒動員中、元安川付近で原爆に遭い、父が、川辺を捜しまわりやっと見つけた。倒壊した自宅近くの畑で青いトマトを絞って飲ませたら、かすかな息を引き取った」などなど。   今も忘れられない幼児体験を、引きずっているのであろう。

 今年は、特にオバマ米大統領がプラハ演説で「核兵器のない世界の平和と安全保障を追求する」と約束したことを受けて、広島市長の秋葉氏は、六日の平和記念式典の平和宣言で、オバマ米大統領を支持し、「私たちは核兵器廃絶のため活動する責任がある」と演説した。

 そのこと自体は、正しいと私も思う。

 しかし、その後の投書で「オバマジョリティ音頭なる歌を、核廃絶を目指す広島市の公式行事で使うと聞いて仰天した。私のように、被爆二世だった恋人が若くしてこの世を去り、つらい思いをしている人間にとって、原爆投下という人類の悲劇が、まるでお祭りのような扱いを受けることに激しい憤りを感じる」というのを読み、被爆者と関係者の深い悲しみを本当に理解することの困難さを思い知らされた。


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