12月20日
今、「沈まぬ太陽」が話題になっている。
私は、山崎豊子の原作も読んだし、渡辺謙主演の映画も観た。
JALをモデルにしたと思われる航空会社の労働組合の委員長である恩地元が条件闘争で勝利するが、会社から嫌われてアフリカの各地に転勤を命ぜられ、なかなか日本に帰って来られない。ちょうど一九八七年の御巣鷹事件の時は、日本で勤務していたが、遺族担当として誠意ある対応をした。それなのに、再びアフリカの勤務を命じられ、家族にもつらい思いをさせる。また、以前は同僚だった行天という男(三浦友和が演じる)は、その後上司にすり寄って出世し、取締役になって第二組合を作ったり、恩地の娘の結婚話を妨害しようとしたり、さんざん嫌がらせをする、といった内容だ。
航空機墜落事故の現場描写が圧巻だ。山腹いっぱいに散らばった機体の残骸、五二〇もの柩、泣きくずれ、あるいはわめく遺族。
先日、JALを退職した友人と飲んだ時、沈まぬ太陽の恩地は実在の人物をモデルにしているのでしょう、と聞いたところ、確かにモデルと思われる人物はいるが、小説では、その男を美化し英雄に仕立てている。実際は、入社の時に経歴詐称し、アメリカに要人がJALで飛ぶというその日に合わせてスト決行を強行しようとしたり、全く会社のことを考えていない、御巣鷹被害者遺族担当としての態度にも遺族からいろいろ苦情があった、という裏話を聞かせてくれた。彼は、JALのOBとして、会社が誤解されているのではないかと悔しい思いをしているという。
もちろん小説も映画も、「これはフィクションです」と断っているが、読者や視聴者はどうしても事実と錯覚してしまう。
事実は、双方の言い分を聞いてみないとわからないのかもしれない。裁判でも、私は、依頼者の言い分を信じ、最大限それを有利に主張するが、相手方から思わぬ反論がされることも度々ある。裁判官は、それを公平に聞きわけ、証拠を確かめ、適正な判断をすることが求められるのだ。大変な仕事だと思う。