5月20日
私の父は、裁判官だったから、ほぼ三年毎に転勤していた。
私は、小学校だけでも四つ変わった。昔は、今みたいな便利な引越業者がいなかったから、両親がいちいち梱包していた。大事な皿や茶碗は割れないように、新聞紙を細く切ってぬらして、それを放射状に貼り付けた。私も随分その手伝いをさせられたものだ。特に困ったのは、広い官舎から狭い官舎に移る時で、新しい官舎の間取り図の上に、家具を同じ縮尺にして切ったものをあっちに置いたり、こっちに置いたりして、置き場所に苦労していた母の姿を思い出す。
私が、裁判官ではなくて弁護士になったのは、この引越のわずらわしさも一つの理由である。
しかし、この春、私は二つの引越をした。
一つは、六年間努めた東北大学の教授を辞めたので、教授室から本や冷蔵庫などの引越し、もう一つは、七年半単身赴任をしていた夫の、東京の官舎からの引越し。
私も、東京へ年の三分の一から四分の一は行って生活していたので、衣類や身のまわり品がたまって相当の量になっていた。それでも、引越業者が手際よく梱包して送り出してくれ、あまり苦労はしなかったが、大変なのは荷物が着いた後の整理である。
やれやれ、これでもう死ぬまで引越はあるまい、とホッとして言うと、娘に言われた。
「もう一回、老人ホームへの引越があるんじゃない?」
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