12月20日
アメリカの九・一一事件以降、テロ対策と称していろいろな所で監視・規制が厳しくなっている。
先日、ニューヨークへ遊びに行った友人がこぼしていた。入・出国手続のチェックが厳しく、カバンの中を綿密に調べられたり、靴も脱いで調べられたり、そのせいで通関の時間も大幅にかかるので長蛇の列ができて大変だ、と。
ただ時間がかかる、というだけならまだ我慢もできる。しかしながら、「安全・安心まちづくり条例」や「生活安全条例」の広がりによって市民生活の警察による監視あるいはその可能性が強まっている。
住民相互監視の結果としての個人の生活情報や監視カメラのデータを警察がほとんど無制限に取得する現実的可能性が生まれている。
法制上の動きをみると、まず二〇〇三年三月の通常国会に提案されて以降、政府が成立に執着し続ける組織的犯罪処罰法改正案があり、いま「共謀罪」の名称を「テロ等謀議罪」に変更して成立を図ろうとしている。
犯罪収益の移転防止、マネーロンダリング対策が目的であるとされる、いわゆるゲートキーパー法は、それまで金融機関に課していた疑わしい取引の届出義務をリース、クレジット、不動産取引に拡大し、届出先を「警察庁」に定めた。
外国人の出入国や在留管理についてみると、入管法の改正(二〇〇六年五月等)、雇用対策法の改正(二〇〇七年五月)によって、国家が、指紋情報、顔貎情報をデータベース化すること、また事業主に申告させた就職・離職の情報を含む個人情報を一元的に管理・利用すること及びそれらの情報を他の国の保管情報と交換することが可能となっている。
これらの動きは憲法で守られている言論の自由、思想・良心の自由、プライヴァシーの権利等が侵害されるのではないかという問題意識で、先日日弁連の人権大会シンポジウムが開催され、私も出席したが、私たちの生活が日常的に監視・規制されるようになった近未来の想定劇もなかなか面白く、そして改めて「安全」と「自由の放棄」の関連について考えさせられ、有意義であった。
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