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2009年9月10日(木曜日)

9月10日

カテゴリー: - fujitasougou @ 14時31分59秒

 八月の夏休みは、私は毎年夫の郷里である広島で過ごす。

 六日の原爆の日が近づくと、地元中国新聞では特集記事を組んで、「平和への願い」を込めた様々な行事を紹介したり、「核廃絶」への思いを識者に語ってもらったり、各政党が「非核化」について、どのようなマニフェストをかかげているか掲載する。

 そのような中で、特に心を打たれるのは、もう七〇才を過ぎている被爆者や、その遺族らの証言である。

 「原爆投下から数日後、焼け落ちた自宅を捜すと、母と一才の妹の二人の黒こげで胴だけの遺体が出てきた。声が出なかった」、「姉は、学徒動員中、元安川付近で原爆に遭い、父が、川辺を捜しまわりやっと見つけた。倒壊した自宅近くの畑で青いトマトを絞って飲ませたら、かすかな息を引き取った」などなど。   今も忘れられない幼児体験を、引きずっているのであろう。

 今年は、特にオバマ米大統領がプラハ演説で「核兵器のない世界の平和と安全保障を追求する」と約束したことを受けて、広島市長の秋葉氏は、六日の平和記念式典の平和宣言で、オバマ米大統領を支持し、「私たちは核兵器廃絶のため活動する責任がある」と演説した。

 そのこと自体は、正しいと私も思う。

 しかし、その後の投書で「オバマジョリティ音頭なる歌を、核廃絶を目指す広島市の公式行事で使うと聞いて仰天した。私のように、被爆二世だった恋人が若くしてこの世を去り、つらい思いをしている人間にとって、原爆投下という人類の悲劇が、まるでお祭りのような扱いを受けることに激しい憤りを感じる」というのを読み、被爆者と関係者の深い悲しみを本当に理解することの困難さを思い知らされた。


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